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言葉が作る私たちのしあわせ 中原淳一エッセイからの抜粋


「言葉」は何のためにあるものでしょうか。

もちろん「用を足すためにある」のにはちがいないが、用が足せさえすればそれでよい・・・というものではないはずです。

お互いが用を足すために「言葉」のやりとりをする、その同じ「言葉」でもちょっとしたつかい方でそれを聞いた人の心がポッと温められて、しあわせな気持ちになったり、また、反対に味気ない不愉快な気持ちで、生きているのもいやになることさえあるのです。

それというのも「言葉」にはそれを口にする人の心の温かさ、冷たさが必ず反映されるからなのです。



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誰にでも経験をしたことがあると思いますが、話しあっていることそのものは、少しも不愉快なことではないのに、聞いていて何ともいえない不愉快な思いにさせられたり、逆に、あまりうれしい様な話ではないのに、ほんのちょっとした相手の温かい言葉づかいから、気分がスカッと晴れわたり、たとえそれがいやな話であっても、その言葉を聞いていると、その日一日が何となくうれしいという様なこともありましょう。

だから、私たちが毎日耳にする言葉の一つ一つが、みんなの気持ちを明るくする様な、いたわりや思いやりのある、温かい心から出た言葉ばかりであったら、どんなにすがすがしい毎日が送れるだろう・・・とは思いませんか。




中原淳一   幼いころから「天才」と呼ばれ、そのほとばしる才能に肉体が追いつかないかのように、眠る時間を削って表現し続け、人生を駆けぬけていった一人の芸術家。彼にとって「美しい」とは、外見の美だけでなく、優しい心遣い、思いやり、弱い者や悩む人への愛、謙遜の美徳、清潔なすがすがしさといった人間のあり方のすべてを指していました。そして、日常の暮らしを美しく生きることによって初めて、人生を楽しみ、生きることを喜ぶことが出来る、と考えました。「美しい暮らし」はただ漫然と日々を暮らすことからは生まれず、「美しさ」というものを知り、ものを考える賢さを持つこと。ものを大切にし、生活の中で様々に工夫する心を育て、実践していくことからこそ生まれる。本当の贅沢とは、そういうことをいうのだと説く淳一の言葉は、ものがあり余っている現代にこそ、いっそう強く私たちの心に響くのではないでしょうか。
中原淳一エッセイ画集 しあわせの花束 より



by miniature-rose | 2017-02-12 17:35 | dear

Roseです。東京でOLをしながら、アメリカを訪れる休暇を楽しみにしています。理由があって、2015年4月4日にカトリックになりました。洗礼名は Raphaela 意味は "God heals." 「今」に生き 愛しい日々を大切に・・・☆


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